White Piece

 その日、俺と高橋晴香(たかはしはるか)は偶然街で出会い、そのまま昼食を取ることになった。
 
「何食う?」
 
 駅前の商店街。人通りはまばらで俺たち二人が並んで歩く程度の余裕は十分にある。
 
 隣で歩く晴香に顔を向けた。美人とまでは言わないが、それでも下手な芸能人より綺麗なのは間違いない。じっとしていると病弱なのではと思えてしまうほど、体も顔も細いが、黒髪を頭で結わいたポニーテール姿は彼女の躍動感をよく現しているし、少し釣り目なところが彼女の性格を匂わせていた。
 
「そうだな。ラーメンが食べたいな。虎。どこかうまいラーメン屋知らないか?」
 
 彼女はいつもはっきりものを言う。それが小気味良いし、異性を感じさせずに付き合うことができるのも好感が持てた。
 
 ちなみに虎とは俺の名前の一文字を取ったものだ。俺の名前は佐藤虎辰(さとうこたつ)というのだが、自分の名前が死ぬほど嫌いなので、いつも名前を略した呼び方を好んでいる。
 
「そうだな。うまいか知らないが、ちょっと噂に聞いたラーメン屋があるからそこに行ってみるか」
 
「そうか。よし、行くぞ。虎」
 
 彼女は右腕を掲げる。だが、掲げた右腕はぶかぶかした洋服の袖しか見ることができない。
 
「ああ。けど、そんなにはしゃぐなよ」
 
「はしゃいでなどいないぞ」
 
 そう言って笑みを見せると場所も分からないくせに晴香は俺より先に歩き出す。
 
 
 高橋春香。俺のクラスメイトであり、たぶん友人だ。別に変わった人間というわけではない。右腕がその肘より下がないということなど、些細なことだった。
 
 
 それが生まれた時からなのか、事故などが原因なのか聞いたことは無い。というよりも聞く気にもならない。俺と晴香が知り合った当初から彼女には右手は無かったが、彼女はそれを気にすることなく生活していたし、回りの人間も彼女の右手の話に触れることは無かったが、それ以外は他のクラスメイトと分け隔てはなかった。
 
 
「ぬ、結構並んでるな」
 
 目的のラーメン屋の前には十数人ほどの列が構成されていた。店員が列を整理しており、他の店の迷惑にならないよう、店と店の間の小さいスペースに客を誘導しているのが見えた。
 
「だな。どうする?」
 
 噂で聞いていただけだったが、まさかこれほど並んでいるとは思わなかったのだ。どこか別の場所にしようか相談しようと晴香の方へ視線を向けると、すでに晴香は列の最後尾へ歩き出していた。俺は呼び止めることも出来ず、に大人しく晴香の後を追いかける。狭いスペースに誘導されて最後尾についた俺と晴香は肩が触れ合うくらいの距離で二人並んで待つことになった。
 
「これでまずかったらどうしてくれようか」
 
 変な笑みを浮かべている晴香に俺は苦笑する。
 
「頼むから『店主を呼べ』なんて騒ぐなよ」
 
「そんなことするはずないだろ。まあ、ブログでたっぷりと悪態はついてやるけどな」
 
 変な笑みを継続させながら、ポケットからケータイを取り出すとその勢いで二つ折りの携帯を開いた。
 
「あっそ。そうだ。いい加減ブログのURL教えてくれよ」
 
 ケータイをいじりだした晴香を見て尋ねる。
 
 時折晴香がブログをやっていることは話題にするのだが、そのURLを聞き出すことが今のところできていないだ。
 
「絶対に嫌」
 
 朗らかに否定するとケータイをしまう。
 
「そうかい」
 
 断られるのはいつものことなので、傷つくこともないが、目の前の相手が一体どんなブログを描いているのか気になるところはある。まあ、いつか聞けるだろうと漠然と思いながら列が動くのを見て、俺と晴香はそれに合わせて数歩歩く。
 
 普段と違って私服である晴香を眺めるのは新鮮だ。基調は白で帽子やスカートなどは白で統一している。服は赤と黒を複雑に絡ませたもので、晴香によく似合っている。自分のことを棚にあげてだが、晴香はちょっとオタク気味ではあるが、ファッションセンスは悪くないらしい。いや、これが男と女の男女の差なのかもしれない。
 
「虎。今日は何してたんだ?」
 
 晴香が顔を上げる。
 
「ん? 別に本屋行って雑誌見てただけだけど」
 
 晴香を見ていたことを悟られぬように俺は勤めて冷静に午前中の行動を返した。
 
「そうか。しかし羨ましいな。ただで雑誌を簡単に読めるのは。私は雑誌を読む場合やっぱり買わないとならないからな」
 
 そう言って、右腕を上げる。
 
 考えてみると立ち読みの場合一方の手で本を支えてもう一方の手でページを捲る必要がある。そうなると片手の晴香では確かに立ち読みは難しそうだ。
 
「じゃあ、やっぱり買ってるのか?」
 
「今は週刊誌はクラスでをまわし読みしている奴を読んでるけど、夏休み中とかは買ってるな。まったく世知辛い世の中だ」
 
 大仰にかぶりを振る。
 
「替わりに電車は半額なんだろ?」
 
「まあ、その点は助かってる」
 
 何かの手帳を見せることで一般の半額で電車に乗る姿を見たことがある。まあ、その手帳が、何であるかは分からないが。
 
「しかし、目ざとく見てるな虎。私と電車に乗ったのなんて数える程度だろ」
 
「好みの女子のことはよく覚えてるんだよ」
 
 そう言ってみると、晴香はこちらに視線を向ける。
 
「…………馬鹿か?」
 
 思いっきりじと目でそう言った。
 
「ひでえ。もう少し乙女らしい反応を期待したのに」
 
 晴香なら頬を赤くするくらいの初々しさが出るのを想像したのだが、駄目だったようだ。
 
「それならせめて夕日が見える学校の屋上や海辺でそういう台詞を言うんだな。そしたら私の溢れんばかりの乙女チックな反応をしてやる」
 
「いや、晴香の乙女チックな反応ってのがまったく予想できない」
 
 いつも即決即断、男らしい奴なのでいざ乙女と言われてもピンとこない。
 
「なにおう。私は自分で言うのもなんだがツンデレだぞ。好きな男子の前では淑女になるんだぞ」
 
「…………淑女か」
 
 それは目の前にいる少女とは対極に位置する言葉のような気がする。それに淑女はツンデレなんて言葉は知らないと思うが。
 
「疑いの目だな。まあいい。どうせ虎にその姿を見せることは未来永劫ないからな」
 
「なんつーか、それはフラグっぽいぞ。ツンデレの」
 
「うむ。言ってて私もそんな気がした」
 
「なら、今日のこれはヒロインルートが確定したのか?」
 
「いや、たぶん好感度が高いことを示したイベントだろう。挽回は可能だ」
 
「挽回する相手がいねえ」
 
「ならばお友達ルートを目指すんだな。何なら今言ってやるぞ。『私たちはずっと友達だよね』とか」
 
「ぐあ! そういうこと言うな。寂しくなる」
 
 狙ったヒロインが現れずに友人が現れたときのあの悲惨さはきついものがあるぞ。
 
「しかし、いつも思うがギャルゲーの主人公はなんであんなにもてるんだ? 高スペックでもないのにヒロインと釣り合わんだろう」
 
「現実世界にもいるだろ。何でこいつがあんなのと付き合えるんだってのが」
 
「まあ、確かにそうかもしれないが。せめて特技があるとかそういうことならまだしもなぁ」
 
「アクション系の主人公ならそういうのもいるだろ。むしろ主人公の方が高スペック」
 
「その場合は特異すぎる」
 
「それにゲームはやっぱり現実逃避な部分があるからな。高スペックの人間じゃないとモテナイんじゃやってけないだろ」
 
「……だな。まあモテル人間があんなゲームをするはずもあるまい」
 
「そのモテナイという中にはゲームをやっている晴香も入っているってことだよな?」
 
「否定はしないぞ。生まれてこの方告白されたことはないし」
 
「じゃあ、今ここでしてみるかな…………」
 
「ふっ、やれるものならやってみろ」
 
「すいません。無理です」
 
「まったく。冗談も大概にしないと呆れられるぞ。まあ、実際すでに私は呆れているが」
 
「貴重な意見として承ろう」
 
 と、前を見ると店員がこちらにやってきていた。
 
「お客様。2名様でよろしいですか?」
 
「はい」
 
「カウンター席しかありませんが。よろしいでしょうか?」
 
「大丈夫だよな。晴香?」
 
「問題ないぞ」
 
「分かりました。それではご案内します」
 
 店員に促されて店内に入る。店内はそれほど大きくは無く、カウンター席の後ろに三つのテーブル席があるが、すでに満席なので見た目以上に狭く感じる。俺と晴香は店の入り口にある自販機の前に立つ。まずはここで何を食べるかを決める必要がある。俺は無難に一番安いラーメンを選んだ。
 
「悪い、虎。ちょっとこいつの中から千円を出してくれ」
 
 そう言って持っていたバックから俺に向かって財布を投げる。
 
「っと。いきなり投げるなよ」
 
 何とかそれをキャッチすることに成功した俺は財布を開けてそこから千円札を一枚取り出す。
 
「つーか、結構持ってるなお前」
 
「そういうところは見るな。私はこれかな」
 
 そう言って押した先は『辛味ラーメン』と記載されていた。
 
「辛いの好きなのか?」
 
 そう言いながらおつりを持った晴香に財布を返す。
 
「今日はそういう気分ってだけだ。それにこの年で味覚を壊すわけにもいかないしな」
 
 カウンターに二つ席の空いている席に座り、カウンターの上に紙を置く。すると店員がその紙を握り、俺と晴香の注文したメニューを叫ぶ。店員はそれに呼応して同じく返事を返した。
 
「やれやれ。ようやく座れたな」
 
 晴香は座ると財布をテーブルにおいて小銭入れをあける。
 
「まあ、待ってるのもほんの十分程度だけどな。そういうや午後からどーする?」
 
「私はゲーセンの予定だ。最近開けていたから練習しないと思っていたから」
 
「ふ~ん。じゃあ俺も行ってみるかな」
 
「別に無理に付き合わないでもいいぞ」
 
「いや、俺は後は帰って暇つぶしするくらいだったし。たまにはゲーセンもありかなと」
 
「物好きだな。ま、ゲーセンに一人で行くのもつまらないしな」
 
「俺は嫌いじゃないけど」
 
「ますます物好きだ」
 
 呆れたようにそう言って晴香は財布をしまった。
 
 しばらくすると俺たち二人の前のカウンターにラーメンが置かれる。店員は晴香のことに気づいているのかそれとも気づいていながらなのか、カウンターの上にどんぶりを置いている。
 
「取れるか?」
 
「そこまで困ってはいない。と言いたいところだが、取ってくれるか?」
 
 何故かそこでいやらしい笑みを浮かべる。たぶんあごで使って楽しんでいるのだろう。趣味が悪いが逆らうつもりもない。
 
「はいはい」
 
 俺はちょっと立ち上がり、晴香のどんぶりを持って、彼女の前にどんぶりを置く。しかし、ずいぶんと真っ赤なスープで見るからに辛そうだ。
 
 その後に俺は自分のどんぶりをテーブルの上に置いた。
 
 晴香は一言礼を告げつつ、手元に置かれている割り箸を器用に取って、それを横にすると口で箸を割った。そのまま箸を正しく持つと、ラーメンを食べ始める。その動きが流れるように一連としており、見ていて非常に小気味のいいものだった。
 
 しかし、その姿に見とれているとふと、晴香がこちらを見る。
 
「何だ?」
 
「いや、なんでもない」
 
 ちょっと気恥ずかしくなって俺はすぐに自分のラーメンの方へと向きを変えた。晴香と同じように割り箸を口で割って勢いに乗ってそのままラーメンをすする。麺は歯ごたえがあり、スープもよく絡み麺を引き立てており、これはうまい。どうやらここのラーメン屋は当たりだな。そう思い、ふと晴香を見ると、彼女の額には大粒の汗が流れていた。
 
「…………大丈夫か。晴香?」
 
「…………微妙だ」
 
 晴香は箸をどんぶりの上に置いて、どんぶりの隣に置いてあるお冷やを一気に飲み干した。
 
「まさか、これほどとは思わなかった…………」
 
「そんなに辛いのか?」
 
 先ほどのすすっている姿は大丈夫そうだったのだが。
 
「ああ。ちょっと飲んでみるか?」
 
「ああ」
 
 俺は自分のレンゲを使って晴香のどんぶりのスープをすくう。先ほども見ているのだが、改めてみると何とも危険な色だ。しかし、食い物であることは確かなので、意を決して口をつける。
 
「…………ん」
 
 一体どれほどの辛さかと思ったが、辛さはそれほどでもない。
 
「別に何とも…………」
 
 言いかけたとき、それはきた。
 
「!!!」
 
 何というか舌に真っ赤に熱せられた鉄を押しつけられているかのような痛みと辛さが襲いかかり、それが口から喉へと広がっていく。
 
「!?」
 
 俺はあわてて自分の冷やを飲み干す。しかし、それだけではやはり完全に辛さを取り除くことはできず、舌に辛さは残る。
 
「……何だこの凶器?」
 
 俺は汗を拭いている晴香にそう語りかける。
 
「分かったろ。この辛さはおかしい」
 
「確かに。で、食べるのか?」
 
 かなり体に悪い感じの辛さだ。これを平然と食べられる奴はとっくに味覚がおかしくなっているんじゃないだろうか。
 
「…………」
 
 無言でラーメンを睨みつけながら晴香はゆっくりと箸をどんぶりの中に入れていき、麺をすくう。どうやら食べる気らしい。しばらくじっと麺を見ていたが意を決して食べ始めた。
 
 
「…………」
 
 先ほどから晴香は一言も発しない。
 
「…………大丈夫か。晴香?」
 
 その表情があまりにも厳しいため、俺は思わず訪ねる。
 
「…………次に行くときは絶対に辛いのは頼まない…………」
 
 ぶっきらぼうにそう言った。先ほどのラーメンで舌がやられて、しゃべるのが億劫なのだそうだ。
 
「なんか甘いものでも食べるか」
 
「おお! 虎のくせに良いことを思いつくな」
 
「『くせに』は余計だ。駅前にクレープ売ってたよな」
 
「ああ、確かに。食べてみようと思って一度も食べたことがないな」
 
「ならちょうどいいから行ってみるか」
 
「そうだな」
 
 うなずく晴香は少し気分を取り戻したようで笑みを浮かべる。
 
「よし、それじゃあ早速」
 
「って、待て」
 
 歩き出そうとする晴香の右の袖をつかむ。
 
「!」
 
 いきなり袖を引っ張られた反動で、晴香は反対の方向へと引き寄せられた。
 
「何を…………!」
 
 抗議の言葉よりも早く、車が通る過ぎる。その車は今晴香が通ろうとした道から通り過ぎたものだ。
 
「…………」
 
 通り過ぎた車を見つめて今度は俺を見る。
 
「とりあえず、周りは見ろよ」
 
 そう言って右の袖を離した。
 
「悪い…………けど、袖をつかむのは反則だぞ。服が伸びたらどうする」
 
「いや、あれはしょうがないだろ。とっさだったんだから」
 
「………………」
 
 何というかいじけているような責めているような何とも難しい視線を俺に向けてくる。そして、俺はこの視線にとことん弱いのだ。
 
「すいません」
 
「クレープは虎のおごりだぞ」
 
「何でだよ」
 
「何でもだ」
 
 そして、いたずらを成功させた子供のような笑顔を浮かべると今度は左右を確認して道を渡る。
 
「早くしろ虎!」
 
 先ほどのことなど無かったように左手を振り回して俺を呼ぶ晴香。俺はため息をついてあいつの後を追った。
 
 
「最近は何やってんだ。晴香は」
 
 クレープをおごらされた後、俺たちは予定通りゲームセンターに来ていた。
 
「最近はフリランだな」
 
 晴香の言ったゲームは先日稼働したばかりの格闘ゲームだ。晴香は格闘ゲームをやる。最初聞いたときは何かの冗談かと思ったが、実際対戦した際の俺と晴香の成績は2勝18敗。異常な強さだ。一応俺も中級くらいの実力は有しているつもりだったが、完膚無きまで叩きつぶされた感じだ。
 
 晴香は迷うことなく『フリーランサー』の筐体に向かうとちょうど人はおらず、筐体は1P、2Pともに空いている。
 
「虎はやるのか?」
 
「あんまりやったことが無いから後から入る」
 
「そうか。じゃあ早速」
 
 晴香は椅子に座ると財布を取り出して操作キーの横に財布を置くとチャックを開けて、100円玉を取り出す。こういう台は基本的に硬貨挿入口は右側にあるので左手しかない晴香は腕を右側に向けないといけないから、面倒そうに見える。しかし、それほど苦心することもなく100円を入れるとゲームが立ち上がった。右ひじでスタートボタンを押すと器用にボタンを押して基本操作画面を飛ばす。
 
「フリーランサー」は4ボタン式のどちらかというと「一発」を重視する格闘ゲームだ。そのため初心者でも割ととっつきやすく超必殺技が決まれば逆転もありえるのでかなり白熱する。まあ、あまりにも一発が重いためにかえって興醒めしてしまうという意見もあるが、割と稼働率の良い格ゲーではある。
 
 
「誰使いなんだ?」
 
 俺が尋ねると答えるより早く、晴香はキャラを選択する。フリランの中で最重量キャラだ。上半身裸の筋肉馬鹿で主に投げ技が中心となっている。
 
「やっぱり投げかよ」
 
 晴香は趣味なのかスタイルなのか、投げ技主体のキャラが中心だ。
 
「投げは至高だぞ。相手の攻撃を掻い潜り一撃必殺。浪漫だ」
 
「自分の性別を考えてくれ」
 
 不釣合いこの上ないのだが、浪漫と言われればそれ以上言い返すこともできない。
 
 そうこうしているうちに最初のステージが開始される。
 
 フリランは2ボタン同時押しで避けがある。晴香はこれを巧に使い、相手の懐に入ると即座に投げ技で相手にダメージを与えていく。最重量である晴香のキャラは他のキャラより動きが遅い。だが、晴香が使うとそれが全く感じられず、あっという間に相手に近づき、画面端に追いやってしまう。この動きを見ていると片手がないという事実が嘘のようだ。しかも晴香は肘でボタンを扱っているようなものなのだ。同時押しなんてどうやってやっているのかまるで分からない。
 
 投げ技の瞬間、服の袖が揺れる。その姿がやけに新鮮に俺の目には映った。
 
 そんな晴香の姿をしばらく眺めていた俺は、そろそろ乱入しようと向かいの対戦台へと向かう。普段なら周りにもう少しくらい人がいるのだが、今日はずいぶんと閑散としている。まあ、邪魔が入らないので、やりやすいのだが。
 
 100円玉を入れて、スタートボタンを押す。CPU戦が中断され、俺のキャラクター選択画面に移行した。一応俺もこのゲームは遊んでいる。もっとも実力は晴香ほどではないし、CPU戦がとことん苦手な俺は下手すると中ボス戦のステージ5辺りで終わってしまうことがあるのだが。
 
 とりあえず俺は能力的には平均的な主人公キャラを選択する。特出した点はないが、卒なくこなすことが出来るので、使い勝手は良いキャラだ。
 
 ステージが自動で選択され、第一ラウンドが開始される。
 
(とりあえず)
 
 突進技で相手をけん制する。何しろ相手はパワーキャラだ。近づけさせると何をしてくるか分かったものではない。
 
 しかし、相手もそれを読んでおり、即座に避けを使い攻撃を避けるとこちらに向かってくる。キャラ中最も大きなキャラのため進んでくる威圧感は強力だ。俺はジャンプからの攻撃を行おうとするが、それも読まれ、対空の必殺技で捕まってしまった。
 
(くそ、いきなり読まれた)
 
 ステージに叩きつけられる。ボタン連打で受け身を取って間合いを離そうとするが、すでに画面端近くだ。離せる距離もない。選択肢は攻撃か防御か。俺に防御に回る趣味はない。ここは攻めるしか。俺は連続技につながる攻撃を放つ。だが、それすらも読んでいたのかきっちりタイミングに合わせられそのまま画面が暗転する。
 
「ちょ!」
 
 思わず叫ばずにはいられない。読まれた上に超必殺技だ。
 
(読み過ぎだろ!)
 
 何だ、あいつは。あれか。何かを失った替わりに読心術でも得てるのか。
 
 まあ、そんな不謹慎なことを思いつつも一度傾いた状況をひっくり返すほど、俺の力量は優れてはいなかった。
 
 
「いや、投げたよな? 俺」
 
「それは対戦で嫌われる台詞だぞ。虎」
 
 一通りゲーセンで遊んだ俺達は帰路についていた。
 
「いや、分かってるんだよ。立ち上がり時の投げは通常攻撃より遅れるってことはさ。でもあのときの俺はあの時間差で投げると思ったんだよ」
 
「まあ、すべて負け犬の遠吠えだがな」
 
 結局あれから三戦やったのだが、1セットは取るものの結局勝てずに終わってしまったのだ。
 
「というか、そっちの予知能力が卑怯過ぎだ」
 
「予知能力? ああ。先読みか。フフ、虎の動きは分かりやすいからな。なんだかんだで直情だから読みやすいんだ」
 
「む~…………」
 
 なんというか手のひらで踊らされている感じだ。
 
「まあ、それに、私の場合はやはりボタン配置が複雑なのはできないからな。フリランはそれほど同時押しも少ないから普通の格ゲーよりできるんだ」
 
「…………」
 
 俺はどう答えていいか迷う。ボタンを肘でしか押せない晴香は、たぶんかなり歯がゆい思いをしているのだろう。
 
 ふと気づくと晴香が俺の表情を伺っていた。俺は慌てて一歩引く。
 
「まだまだ甘いな虎」
 
 笑って俺の隣に立って歩く。そのまま歩きながら俺は晴香の表情を伺うが、彼女の表情は普段通りだ。
 
「このくらいの冗談。笑って誤魔化すくらいにならないと私の相手は勤まらないぞ」
 
 今度は晴香がこちらを伺う番だった。
 
「せいぜい、精進するさ」
 
 内心、いやたぶん俺は内心と同じように苦笑しながら晴香に言った。その言葉に満足したか晴香は笑う。その笑顔だけで満ち足りる俺は何とも安上がりに思える。いや、そんなことは最初から分かりきってるんだ。何しろ俺は。
 
「そうだな。そのくらいがんばってもらわないと私とはつりあわないからな」
 
 やはり、笑顔でそう言う晴香。
 
 
 なんのことはなくて、俺は目の前の少女に心底惚れているんだ。
 
 
「お前とつりあうようになるにはどうすればいんだろうな?」
 
 俺は晴香に尋ねる。
 
「……そうだなぁ…………」
 
 少し考えて、すると何かを思いついたのか、晴香は俺を追い越して、俺の前に立った。
 
「夕日が見える学校の屋上や海辺で告白できる度量のあるやつってところだろう」
 
 そういって笑う。いつもの悪戯に成功したときの子供の笑み。俺はその笑みにあてられながら、ちょっとしたことを思いつく。
 
「よし、じゃあ今から海辺に行くか」
 
「は?」
 
「そうすればつりあうんだろ?」
 
「いや、それは冗談で…………」
 
 俺は晴香の左手を掴んだ。
 
「!?」
 
 びっくりする晴香の顔が新鮮で俺は笑う。たぶんいつもの晴香が浮かべているような笑みで。
 
「冗談だよ。冗談」
 
 そう言って俺は晴香の手を離す。
 
「え…………」
 
 しばらく呆然としていると直ぐに晴香の顔が赤くなり、目が釣りあがっていく。
 
「虎ぁぁぁ!!」
 
 右の袖を鞭のようにしならせ俺に当ててくる。俺はそれを笑いながら回避し、逃走を開始した。
 
「そんなに怒るなよ」
 
「うるさぁぁぁぁい!」
 
 もはや問答無用だ。俺は怒りが収まるまで逃走することを決めて、走り出す。そしてそれを三白眼で追いかける晴香。
 
 
 まあ、せいぜい精進するさ。
 
 
 俺は心にそう誓いながら、本気で追いかけてきた晴香に追いつかれぬようなるべく安全な道を探しながら足に力を込めて走り出した。
 
終わり