バレンタイン前夜

「それで、相談って?」
 
 近場のファミレスで百田切(ももたせつ)はテーブルの端に座った。一方向かいの席には二人の少女が座っている。一人は梅近健美(うめちかたけみ)。切の同級生であり友人の一人だ。長い黒髪は一本たりとも枝毛がなく、艶やかでよく手入れがされている肌は白く陶器を思わせ、大和撫子という言葉が良く似合う女性であった。そんな彼女は現在制服の上も脱がず、マフラーも取らずに席に座ってうつむいている。見間違いか若干頬が赤かった。
 
「まあ、それよりも…………」
 
「すいません。ストロベリーパフェを一つ」
 
「なんで、お前がここにいるんだ? レン?」
 
「は?」
 
 健美の隣にいる少女。小柄で大きな瞳。短い髪を金髪にして誰よりも早くファミレスのメニューをめくって注文を決めたのが松重恋歌(まつしげれんか)。二人の共通の友人でもある。
 
「それはそれ。これはこれ」
 
「いや、全くどういう意味だよ。つーかいつの間に着いてきてたんだよ」
 
「ん~。分からん。というわけで店員さんパフェ一つ」
 
「ちゃんと説明しろよ!」
 
「あ、私は大丈夫だから」
 
「…………まあ、健美がそう言うならいいけど。あ、俺コーヒー。健美は?」
 
「じゃあ、ホットココア」
 
「切のおごりで」
 
「絶対お前にはおごらない!」
 
「素直じゃないなぁ。切は。ところで二人はどうしたの?」
 
「……私が切君に相談したいことがあって…………」
 
「え? 子供出来たの?」
 
「違うわ! つーか俺と健美でどうしてそんな相談になる!」
 
「は~、いや、仲良いなと思ってたし。てっきりそういう関係だと」
 
「ち……違うよ! それに…………」
 
 健美はそう言って再びファミレスに辿り着いた当初のようにうつむいてしまう。
 
「あれ、修羅場?」
 
「たぶん違うわ。どうしたんだ健美。なんか最近調子悪いみたいだけど」
 
「あ、うん…………えっとね…………」
 
 話し出そうとする健美だがしかし、それは言葉にならない。健美とは長いつきあいだがこういう姿をみるのは初めてで切は戸惑う。一方で隣の恋歌もさすがにいつものノリではいけない雰囲気を纏っている健美に対して黙って彼女を見つめている。
 
「私………………」
 
『…………』
 
「好きな人がいるの…………」
 
 その言葉を聞いて切に去来する思いは「ああ、やっぱりなぁ」という言葉だった。ちょうどその時、切の後ろからウェイトレスがやってきて、先ほど注文した品をテーブルに置く。
 
「………………」
 
 切はコーヒーを一口すすり。
 
「まあ、それは何となく分かってたことだけど」
 
「ええ!!」
 
 席を立つほど驚く健美。一方隣でこれも普通にパフェを食べている恋歌。
 
「というか何で二人ともそんなに冷静なのよぉ!」
 
「いや、とは言ってもなぁ」
 
「健ちゃんもしかして誰も知らないとでも思ってたの?」
 
「え、もしかして私、バレバレ?」
 
「とりあえず、座っておけば」
 
「あ…………」
 
 全員がこちらを注視しているのを見て、健美はおずおずと席に座りながらそのままマフラーを取って上着を脱ぐ。
 
 その姿を一通り見て、再びコーヒーをすする切。しかしその行動は全て反射的なものですでに思考は別の方向に進んでいる。
 
(まあ、当然なんだけど今更感があるんだよなぁ。つーてもそれを俺に言うメリットを考えると…………あ~そうか、そういやもうすぐだったなぁ)
 
 コーヒーをすすり終える前に全ての状況が朧気ながらに見えてきた切はコーヒーを置く。
 
 健美はどうやら落ち着いたようで出されたココアを飲んでいる。
 
「で、一応聞いておくけど相手は?」
 
 はっきり言えば完全に予定調和の会話だ。もう、これ以降の会話は必要なくて、彼女が何をしたくて、そして自分に何を望んでいるのか。それは全て分かっている。分かっているがそれをするのはひとえに彼女のためだった。切がたった一つ誇れるものがあるとすればそれは目の前の健美という少女の頼みを一度も断ったことが無いというということだ。彼女の望みが「話を聞く」ということならその望みを叶えるだけだ。
 
「えっと…………」
 
 今更恥ずかしがることも無いと思うのだが、健美はその人物の名前を言うのを躊躇う。顔はまだ赤い。このような表情を浮かべる健美を見るのが初めてで新鮮な気分にさせてくれる。しかし、それ以上に胸が重苦しいのも事実だが。
 
「咲良でしょ。決まってるじゃん」
 
 健美が言う前に隣の恋歌が相手を言ってしまう。その名を聞いて再び飛び上がろうとする健美だが、今度はどうにか踏みとどまった。
 
「どうして…………それを…………」
 
 真っ赤な顔はもはや爆発でもしかねない健美を見るのはとても楽しい。
 
「いや~、あれだけ好き好きビーム出して逆に分からないってのが凄いよね咲良って」
 
 もはや驚嘆といった表情でパフェのクリームをすくって口に運ぶ恋歌。一応イレギュラーな存在なのだが、なんだかすでにこの場になじんでいる。
 
「まあ、正直何度ぶっ飛ばそうか考えたかわからんわ、俺。健美の必死の誘いを断ってゲーセン行ったときはさすがに親友を止めようと思ったし」
 
「うう、私ってそんなに分かりやすかったんだぁ……」
 
 衝撃の事実を知って頭を抱える。しかしあれだけのアプローチをしていて分からないとでも思ったのだろうか。昔から抜けているところがあると思ったが、ここまでとは。そう考えてテーブルの端に置いてあるシュガースティックを一つ取る。
 
「まあ、それは置いておくとして」
 
「あんまり置いて欲しくないかも」
 
「そっちは本題じゃないだろ。で、咲良が好きってのははっきり分かってることだが、それでどうする気なんだ?」
 
「切君。今日はなんだか辛辣なんだけど」
 
 ためらいがちにそう言う健美。言われて気付く。どうやら思っていた以上にダメージがあるようだ。とっくに覚悟していたことなのに。自分も人の事は言えない。シュガースティックを傾け、端を引きちぎる。
 
「そうか? いつもこんな感じだろ?」
 
 ごまかせるか分からないが、そう言ってコーヒーに砂糖を注ぐ。
 
「そうかなぁ」
 
「それより、そっちの話だろ。で、俺に何を相談したいんだ?」
 
 コーヒーと一緒についてきたスプーンを使って注いだ砂糖を溶かす。
 
「うん。それでね……近々バレンタインでしょ。それで…………」
 
「ああ! そういえばそろそろそんな時期だったね。渡す相手がいないからすっかり忘れてた。菓子業界の陰謀デー」
 
「レンちゃん。それはちょっと」
 
「そうだぞレン。誰もが知ってることをあえて言葉にして夢を壊すなよ」
 
「切君も五十歩百歩だと思う…………」
 
「しかし、つまりバレンタインに告白したいから手伝ってくれってことか?」
 
 いい加減、忍耐力も限界にさしかかり、話を進める。つまりそういうことなのだろう。
 
「あ、うん。できればなんだけど…………」
 
 健美の言葉が続かない。無理な相談だと感じているのだろうか。切にとってはなんてことはない事なのだが。唯一怪訝する事があるとすれば自分の心情くらいなものだ。
 
「は~決戦の土曜日ってわけかぁ」
 
「確かに土曜だと学校休みだからハードル高いしな」
 
「あの、だから…………」
 
 否定の言葉が続くと思った切は言葉を進める。
 
「別にいいぜ。咲良を適当に呼び出せばいいんだろ?」
 
「いいの?」
 
 表情は何かを伺うような、そしてどこか怯えているような表情。そんな表情をする必要はないのに。切はそう思いつつ出来る限り平静を装う。
 
「いいも悪いも。そのくらい朝飯前のこと頼まれる方が心外だ。せめてこの世に二つと無いチョコレートを探してくれとか言ってくれないと」
 
「そんなこと頼まないよ」
 
 苦笑する健美。先ほどの表情に比べればずいぶんとましな表情だ。
 
「ま、とにかく分かったよ。場所とか指定してくれればそこに呼び出すから」
 
「あ、別に場所はどこでもいいよ。あんまり迷惑かけたくないし」
 
「クラス1の美少女に会えるのに誰が迷惑なのかなぁ」
 
 ぼそりと恋歌はそう呟く。
 
「え?」
 
 だが、その言葉が聞き取れなかった健美は恋歌を見る。
 
「ん? 何?」
 
 恋歌はスプーンを口に含んで健美を見つめた。先ほどの言葉など全くなかったように。
 
「いえ、何でもないです」
 
「とにかく、用件は分かったし俺は断らないし実現も可能だ。後はそっちの度胸だけだが…………」
 
「うん、がんばってみる」
 
 健美は大きくうなずいた。
 
「じゃあ、問題ないだろ」
 
 健美とそして相手があいつならば何の問題もない。切はそう、思いそっけなく振る舞う。
 
「そうかな。それに断られる可能性だってあるわけだし」
 
「いや~そりゃないっしょ。私が男だったら絶対健ちゃん食べたいもん。つーか女としてみても食べたいわ」
 
 何故か朗らかな笑みでそう言う恋歌。冗談そうに聞こえないからたちが悪い。
 
「食べるって?」
 
 一方そういったことにまるっきり知識のない健美は首を傾ける。
 
「あ~知らんでいい。そんなこと。というかそこで弱気になんかなるなよ。やるならがつんと行け、がつんと」
 
「う、うん。がんばってみる」
 
「その意気だ」
 
 その後、いくつか打ち合わせをして、健美は先に帰ることになった。
 
「ありがとう。切君」
 
「別に。大したことじゃない」
 
「なんだか、私、いつも切君に頼ってばかりだね」
 
「そうかもな」
 
「うう、否定してくれない」
 
 沈む表情ながら、先ほどとは違い、こちらが冗談を言っていることは分かっているのだろう。その表情に本当の意味での悲壮感はない。
 
「なら、せいぜいバレンタインで世界に二つと無いチョコレートでも送ってくれ」
 
「それは無理だよ~」
 
「そのくらいの心意気で義理チョコをよこせって言ってるんだよ」
 
 切に言えるのはそのくらいだった。
 
「…………うん、それなら」
 
「じゃあ、また明日」
 
「うん。今日はありがとう切君」
 
 そう言って健美はファミレスを出て行った。
 
 そして残る切と何故かまだいる恋歌。
 
「で、何でお前がまだいるのか説明してもらおうか」
 
 パフェのそこにあるフレークを食べている恋歌に視線を向ける。
 
「いや、パフェまだ食べ終えてないし」
 
「明らかに後半からペースを遅くしてただろうが。まさかお前も俺に頼み事なんて言うんじゃないだろうな?」
 
「う~ん、あえて言うなら慰め?」
 
 観念したようにスプーンを置いて恋歌は呟く。
 
「慰め?」
 
「いや、切っち。どう考えても負け戦だからさぁ。なんか痛々しくて。それでさ」
 
 それは切にとっては意外な言葉だった。つまり、目の前の少女は自分の心情をその心情を向けていた相手より知っていると言うことだ。
 
「なんだ、気付いてたのか。結構自分ではうまく隠してると思ったんだが」
 
 それはつまり、彼が健美を想っていたという事実だ。ことさら言うつもりは無かったし、元々こうなることが分かっていた恋だ。切はたぶん、永遠にこの想いは誰にも気付かれず自分の中に埋没させるつもりだった。
 
「まあね。他の人は気付いてないと思うけど」
 
 何か含みのある口調だが、それについては語る口をもたない切はため息をつく。
 
「何しろ本人が気付いてないくらいだしな」
 
「いや、あの子は全体的に鈍感でしょ」
 
「そうだな。あれだけやってて気付かないってのも凄いな」
 
 あれだけアプローチをして気付かない相手も相手だが、周りが気付いていないとでも思っていたのだろうか。まあ、そういう点でも嫌いになれない点なのだろうが。
 
「まあ、気付いちゃうとちょっと残酷だなと思う。彼女の純真さって逆に罪だね」
 
 恋歌のどこか健美を責めるような言に少しいらつく。これは健美が悪いのではなく、切自身の問題だ。
 
「あんまりそういう事言うなよ。なんつーか、むかつく」
 
「惚れた弱みって奴? ホントに好きなんだね健ちゃんのこと」
 
「まーなー。あ~やっぱりショックか、いやショックか? ショックなんだろうなぁ」
 
 背中を椅子に預けて顔を天井に向ける。
 
「凄い人ごとなのは何故に?」
 
「いや、たぶん人ごとにしておかないとショックで自分が自分でなくなるからだと思うわ」
 
 顔を恋歌の方へ向けた。
 
「切っちの凄い所ってとことん客観が取れるところだよね。私が目の前に好きな人がいて、その人が他の人が好きなのとか言われたら泣いちゃうわ」
 
 スプーンでパフェのそこをつつきわずかに残ったクリームを食べる。
 
「正直言うと俺も泣くんじゃないかと思ってた」
 
「でも泣かないんだ」
 
「そうだな。何でか自分でもわからん。覚悟はあったし、考えられたことだったからか。それとも本気じゃなかったのか」
 
 その考える方が気が楽だ。だが、恋歌は首を横に振った。
 
「本気じゃないなんてありえないよ」
 
 彼女の真摯な目を見るのが初めてで、内心戸惑いを覚える。
 
「何でお前が言い切れる?」
 
「そりゃ…………何でだろうね?」
 
 その目がいつもの彼女に戻り、首をかしげる。
 
「なんだそりゃ?」
 
 思わず肩を落とす。
 
「なんてね。ここは正直に言うけど結構確証は持ってるよ」
 
 いつもの口調でそう言う恋歌。
 
「その理由が分からないんだが」
 
 そう言うと恋歌は人差し指を自分の口元に当てた。
 
「これは秘密。私だって言いたくないことの一つや二つあるもの」
 
 そしてウィンク一つ。それをジト目で見つめる切。
 
「はいはい。じゃあ、ついでに聞くけど、今の俺はどう思う?」
 
 すると、表情が無表情になり。
 
「はっきり言って見てられない」
 
 はっきりとそう告げた。
 
「何で?」
 
「だって、泣けばいいのに泣かないで、愚痴を言えばいいのに言わないし、馬鹿なのに馬鹿じゃないもん」
 
 何故か口をとがらせる恋歌。
 
「お前は俺を馬鹿にしてるのか」
 
「ぶっちゃけるとそう。切っちは馬鹿。超大馬鹿。超弩級馬鹿」
 
「なんだその英語の比較級、最上級みたいなのは」
 
「馬鹿馬鹿。ほんと馬鹿。あんまり馬鹿だから私の方が腹立たしくなるくらい」
 
「何でお前が怒るんだよ」
 
「そりゃ怒るよ。まあ、それも秘密だけど」
 
 パフェも食べ終わり、スプーンをパフェの器の中に入れる。
 
「秘密の多い女だなお前は」
 
 皮肉でそう言ったが、恋歌は笑う。
 
「私美人だし」
 
 もう一度、切はため息をつく。
 
「自分で言うなよ。まあ、確かに秘密の多い女は魅力的だって言うけどさ」
 
「そういうこと。はぁ~もうちょっと切っちが馬鹿なら健ちゃん奪えたのにね」
 
「できるかよそんなこと。つーか、お前俺を馬鹿にしたいのかそれとも違うのかはっきりしろよ」
 
 冷めてしまったコーヒーをかき回す。
 
「馬鹿にはね二種類いるのよ。後先考えない馬鹿と考えすぎて自爆する馬鹿。ちなみに私が言いたいのは前者。で、切っちは後者」
 
 恋歌は切のコーヒーを見つめていった。
 
「ったく。しかし、まあそりゃ確かにそうかもな」
 
「ありゃ。否定しないんだ」
 
 驚きの表情を浮かべる。切はその表情は見ずにコーヒーを飲んで顔を上げた。
 
「否定してどうなるよ。確かにホントに馬鹿ならもうちょっと変わった未来もあったかなって思うけどな。でも、俺はこの通りだし、これ以上の選択はなかったって思う」
 
 そう。きっと自分がもっと馬鹿なら自分自身は幸せになれたかもしれない。けれど、それは選ばれなかった未来であり、もはや失われてしまったものだ。それに未練など、無いと断言は出来ないが、それでも後悔だけはしないつもりだった。
 
「つーか、これ以外の選択肢だと俺以外の誰かが不幸になるじゃねえか。それは正直勘弁だな。自己犠牲って言葉は好きじゃ無いけど手に抱えられるくらいの不幸なら抱えられし、俺はそれでも生きていけるからなぁ」
 
「だから切っちは馬鹿なんだよ。なんで他の人の事なんて考えるかなぁ。恋なんて早いもん勝ちでしょ。ホント腹立つなぁ」
 
 恋歌は頬をテーブルにつけてふてくされる。
 
「だから何でお前が腹立つんだよ。しょうがないだろそういう性分なんだから。それに俺は一人じゃ生きていけないし、不幸の奴の顔を見るのも嫌なんだよ」
 
 この言葉に嘘はない。だが恋歌の目は一層険しくなる。
 
「じゃあ、私はどうするのさ」
 
「どうするって?」
 
「私は切っちの不幸を知ってるし、私だって他人の不幸顔なんてみたくないよ。そんな私はどうすればいいのさ」
 
「………………」
 
 その言葉は切の胸を貫いた。思ってもいない言葉で、切は戸惑う。
 
「ほんと、どうすればいいのさ…………」
 
 視線をずらし、彼方を見る恋歌。
 
「…………」
 
 それに答えることは切にはできなかった。
 
「…………はぁ。私何言ってるんだろ。これじゃあ余計切っちを苦しめるだけなのにね」
 
 テーブルに突っ伏すのを止めて顔を上げる恋歌。
 
「いや、…………悪い」
 
 ようやくそれだけ言葉を出すことが出来た。
 
「いいよ。そんな顔しないでよ。はぁ~私はもうちょっと色々できると思ったんだけどなぁ。やっぱりうまくいかない」
 
 ため息をついて、今度は先ほどの切のように体をソファーに預けて天井を見上げる。
 
「色々できるって?」
 
 カップの取っ手をつまみながら切は訪ねた。すると苦笑しながら恋歌はこちらに顔を向ける。
 
「全員がハッピーエンドみたいな物語。これじゃあ切っちだけがバッドエンドだし」
 
「人の人生を勝手にバッドエンドにするなよ。勝手に思って勝手に振られただけなんだし」
 
 コーヒーを煽るように飲む。恋歌はそれをどこか悲しそうな表情を浮かべながら手持ちぶさたでパフェの器に入ったスプーンに触れる。
 
「でも、今切っちって『もう、恋なんてしない』とか思ってるんでしょ」
 
「かもな」
 
 冗談ではあるが、少なくとも今しようとはさすがに思えなかった。
 
「ほら、やっぱり不幸だ。バッドエンドだ。はぁ~うまくいかないなぁ」
 
「でも、それが人生だろ。不幸もあれば幸福もある。そういうのが回り回って人生なんだから」
 
「私は常にハッピーがいい」
 
 まるで駄々っ子のように表情をしかめてそう言う。切は苦笑して、だが諭すように表情を和らげる。
 
「そりゃ無理だ。それに幸せってのは不幸があるから際だつんだし、不幸を全部取り払うなんてことは意味がない。この世の全ての人が幸せだったらそれが普通になって幸せって何さってことになりかねないしな」
 
 それは自分で言い訳を探しているみたいな言葉のような気がした。そう言い聞かせておかないと納得ができずに破裂してしまいそうな。そんなどこかいたたまれない感覚。言葉を伝えながら切はそんな風に感じる。
 
「…………確かにそうかも。でもさ。でもだよ。やっぱり幸せになって欲しいよ、みんなが。そりゃ私だって世界中全ての人を幸せにするなんて言わないよ。だけどせめて周りの人間くらい幸せにしたいって願うことは傲慢かな?」
 
「…………いや、そんなことはないさ」
 
 それは目の前の少女の優しさだ。それを踏みにじることは切には出来ないし、するべきではない。
 
 そう言うと、恋歌はにっこりと笑う。
 
「うん、切っちならそう言ってくれると思った」
 
 その笑顔があまりにも自然でそして見とれてしまうものだったので、慌てて切は顔を横に向ける。
 
「何だよそれ」
 
「何顔背けてるの? はは~ん、私に見取れたか」
 
 その笑みを嫌らしい笑みに変える恋歌。
 
「馬鹿言うな。こともなげに恥ずかしいセリフを言うから呆れたんだよ」
 
 そう言って切はごまかした。
 
「そうですか。そうですか。あ、店員さん。シーザーサラダとマルゲリータピザお願いします」
 
 近くにいた店員を呼び止める恋歌。
 
「お前、パフェの後にそれかよ。というか何普通に食事に移行してるんだよ」
 
 店員がやってきて、注文を確認する。
 
「いいじゃん。もう今日はとことん語ろう。だって切っち今帰ったらたぶんまずいと思うよ。なんか色々思い出して自殺しそうだし」
 
「誰が自殺なんてするかよ。するならせめて健美の願いを叶えてからだ」
 
「律儀だね切っちは。で、何食べる?」
 
「ああ、じゃあカルボナーラとグラタン」
 
「よしよし。食欲あるなら大丈夫だね」
 
「最初から大丈夫だよ俺は」
 
 注文を読み上げ確認した後、二人の前の食器を片付け店内に消えていった。
 
「まあ、空元気も元気の内だし。でも切っちと健ちゃんってどのくらいのつきあいなの?」
 
 顔を若干押し出し、恋歌は不純物のない笑みを浮かべる。
 
「今それをこの状況で語れってのかお前は?」
 
 今先ほど、自身の恋が終わった人間に対してどういう仕打ちだと考えつつ、呆れながらにそう言った。
 
「切っちの傷は致命傷なんだから今更傷が広がっても手遅れだもん。なら私が介錯をつとめてあげる」
 
 どこまで本気なのか、たぶん全部本心で恋歌はそう言う。
 
「なんだそりゃ。まあ、中学くらいからのつきあいだな」
 
 たぶん諦めてはくれないだろうと諦めて、口を開く。
 
「ふ~ん。もっと長いかと思った」
 
 「意外」と言いながら顔を退き戻す。
 
「まあ、中学、高校同じクラスだったからな。腐れ縁か」
 
 今年高校二年である切にとってはかれこれ5年同じクラスということになる。
 
「で、健ちゃんのどこが気に入ったの?」
 
「ホントに殺す気満々だな」
 
 恋歌は全く容赦はないようだ。
 
「嫌なことはさっさと追い出せ」
 
 そして何故か握り拳に親指だけを出しをこちらに突き出す。
 
「嫌なことでもないんだが…………そうだなぁ。正直何でだろうな」
 
 切は首をかしげる。
 
「理由なしなの?」
 
「いや、明確な理由がないって感じで何だろうな今までそういう事に目をそらしていたこともあったからあんまり考えたことがなかった」
 
 そう考えてみると健美への想いというのはどこか恋慕というよりは崇拝に近いものだったように思える。彼女を汚すことを切には出来なくて、結果こういう結論に至ったのだが、この想いは果たして本当にそういうものだったのだろうか。
 
「ふ~ん、じゃあきっかけは?」
 
 考えもまとまらぬまま次の質問。この事はとりあえず後回しにしようと頭から消した。
 
「それは…………ってどうしてそんな話になってる?」
 
「いいじゃん。この際話しちゃいなよボーイ」
 
 何かの真似なのだろうか。恋歌は人差し指と親指を開き、後の指は全て閉じて人差し指を切に向けた。
 
 その仕草に呆れながら頭を掻く。
 
「理由すらないし。まあいいか。つか絶対他の人間に話すなよ」
 
 別に自分には問題ないがこれが健美の耳入ることは避けたかった。
 
「その辺はわきまえてるつもりだけど」
 
「ホントかよ。金髪的に信じられないんだが」
 
 茶髪は切のクラスにも多いが、金髪というのはさすがに恋歌だけだ。切の通う学校は服装などはほとんど自由で出で立ちも強制がないため、お咎めはないが、それでも金髪は目立つし、切の印象としてはあまり良くはないのは確かだ。
 
「うわ、外見的差別。最悪だ切っち」
 
 前のめりから一気に退く恋歌。そんな非難する恋歌に対して切はため息をつく。
 
「最悪なのはどっちだよ」
 
 失恋した相手にコイバナを強要する奴など聞いたことが無い。
 
「でも、それほど特別な事があった訳じゃないんだけどな。中学の時一ヶ月くらい入院したことがあったんだよ俺」
 
「心臓病か何か? 奇跡の発現?」
 
 一体どんなドラマ展開を期待しているのか。間違いなくテレビの見過ぎだ。
 
「肝炎だよ。で、その時見舞いに来てくれたのだが健美」
 
「はぁ~。それで惚れたんだ」
 
 恋歌は大きく頷く。
 
「直接のきっかけはたぶんそこだな。あいつ必ず二日に一回見舞いに来てくれたんだ。どうしてそんな来てくれるんだって聞いたら『だって、私にはそれくらいしか出来ないから』だって。どれだけ暇人なんだよってそのとき言ったけど、あれが嬉しかったんだなぁ」
 
「弱った体に優しさが染みたわけだ」
 
「どうしてそんな言葉がすらすら出るのか疑問でしょうがないけど、まあ、確かにそうなのかもしれないな。で、俺はその時の恩義と言って彼女に色々してやった」
 
 彼女が困ったら手を差し出す。躊躇えばあのときの礼だと言えば良かった。それが切と健美の関係の始まりだ。
 
「それはあれでしょ。恩義と言って近づいたってことでしょ?」
 
「嫌なこと言うな。まあ、否定はしない。やり方は汚かったかもしれないな」
 
「私は汚いなんて思ってないよ。好きな人の近くにいるには何かしら理由がないと難しいよ。私もそうかも」
 
 ほおづえをして、恋歌は苦笑する。
 
「意外だな。レンなら好きな相手には特攻する感じだけど」
 
 普段からハイテンション気味の恋歌であるため、切としては恋愛対象の人間にもそういった態度で接するのかと思っていた。
 
「心外。私は好きな人間には奥手だよ。こういう部分はちょっとした強がりかな」
 
 恥ずかしがるような苦笑いのような表情を浮かべ顔を上げる。切はなんとなく手元に何もないことが落ち着かず、ポケットの携帯の感触を確かめた。
 
「それこそ俺には信じられないんだけどな」
 
「はぁ~。そう見えるかぁ。もうちょっと素直になりたいんだけどねぇ」
 
 べったりとおでこにテーブルを押しつける。
 
「お前は十分素直だと思うけど」
 
 恋歌の後頭部を見ながらそう言った。
 
「いや、まだ足りないね。こうあふれんばかりの素直さがあればもっと私の望むものが手に入るんだけど。人って難しいね」
 
 恋歌は勢いよく顔を上げる。
 
「なんなんだ。その達観したもの言いわ。意味が分からん」
 
「別に分からなくても結構だよ。しかし、そこから高校まで恩義を尽くしてきた訳か。格好良いねぇ切っち」
 
 先ほどの笑みを浮かべる。やはり恋歌のその表情は切の心をざわつかせる。だが、先ほどとは違って顔を背けることはしなかった。
 
「どこが格好良いんだよ。結局俺は姫に選ばれなかった騎士。いやこれなら道化か」
 
「道化師なら切っちは失格だね。だって観客の私は笑えないもの」
 
「だろうな。何にしても俺は中途半端だったんだろうな」
 
『ご注文の品をお持ちしました』
 
 話が区切られたと同時に店員が二人の注文を持ってくる。それぞれをテーブルに置くとレシートを置いて「ごゆっくり」と告げて店内へと帰っていった。
 
「でもどうなの。好きな人を奪われてさ。咲良とうまくやってけるの?」
 
 フォークを手に取り、サラダをかき混ぜる。
 
「どうだろうな。案外出来そうな気がするんだけど、俺的には」
 
 同じくフォークを持ってグラタンを掬って一口食べる。
 
「私としては信じられないなぁ。好きな人とその好きな人と付き合おうなんて」
 
 フォークで野菜を突きながら切を見ずにそう呟く。
 
「っても咲良は親友だしな。逆にあいつ以外の奴が健美と付き合うってことになったらこんなにすんなり認められなかったと思う」
 
 この点は確信が持てる。それ以外が相手であったならば、たぶん自分は何らかの形で反対していただろう。相手が彼であるから全てを振り切れたのだ。
 
「なるほどね。ずいぶんと咲良を買ってるんだ」
 
「お前の言う馬鹿だからなあいつは。でも、ここぞという時は必ずやってくれる奴だし…………」
 
 自分でも違和感に気付いた。突然目頭が熱くなって、思わず、フォークを落とす。
 
「あれ、切っち?」
 
 なんだか色々な感情が突然降って沸いて来た。本来出てくるはずであった感情の爆発が今頃になってやってきた。
 
「いや、何か今更来たわ…………あ~ちょっとまずい」
 
「あ、え、あ~と。元気出せ!」
 
「お前、もう少しまともな慰めかた出来ないのかよ」
 
 せめて涙を流さないように上を向くが、それでも間に合いそうにない。
 
「いや、こんなの初めてだし。ってずっと上向いてるのってやっぱり泣きそうなわけ」
 
 恋歌の焦り声を聞くのはまずらしい事だったが、今はそれどころではなかった。
 
「もう、泣いてるわ。あ~格好悪い」
 
 袖で涙をぬぐうが一度流れる出した涙は止まらない。自分の意志では止めることが出来なかった。
 
「別に私はそんなこと思わないけど」
 
「違う。俺自身がそう感じてるんだよ」
 
「そっか。でもそうなると私は何も言えないんだけど」
 
「何も言うな。というか出来ればいなくなれ」
 
 本心からそう言った。もう、周り全ての人がいなければと思ってしまう。そして同時にそれが出来ないということも分かっていた。
 
「ひど! ここまで付き合ってそれはないじゃん」
 
「分かってるよ。ただのわがままだよ。あ~くそ。駄目だ全然止まらねぇ」
 
「えっとハンカチ…………ごめん、今日に限って忘れてきた」
 
 しょげる恋歌。だが、それを見ようにも切はそれどことではなく、涙で先が見えない状態だった。
 
「使えねぇ。いいよ。紙あるし」
 
 手探りで添え付けてある紙を何枚か取り出し涙をぬぐう。だがそれでも止まる事はなかった。
 
「ごめん」
 
 しょげ続けている恋歌は頭を下げて意気消沈している。
 
「なんで謝るんだよ」
 
「いや、何となく」
 
「訳分からん。とりあえず収まるまで飯食ってろよ」
 
 とにかくこれ以上は恋歌を構っていられなかった。もう色々なことがありすぎて涙がどうしても止められない。それを必死で自制しつつ紙を消費し続ける。だが、しばらくこの涙を止められそうになかった。
 
「う……うん」
 
 恋歌は切の言葉に素直に頷いた。
 
 
「はぁ…………」
 
 ようやく涙が引いた。それと同時にため息を漏らす。
 
「落ち着いた?」
 
 先ほどまで一言も話さなかった恋歌はようやく口を開いた。
 
「一応。はぁ、最悪だ」
 
 もう一度ため息をつく。
 
「何でよ」
 
「まさか人前で泣くことになるとは…………」
 
 男の自尊心としては涙など人に見せるものではない。少なくとも切はそう考えていた。
 
「別に私は気にしないし」
 
 苦笑する恋歌に対してそれでも切は表情をゆがめる。
 
「俺が気にするんだよ。てか、全然飯に手付けてないじゃん」
 
 見ると恋歌の前に置いてあるピザとサラダはほとんど出された状態そのままだった。
 
「いや、さすがに目の前で泣かれて食事できるほど図太くないし」
 
 そう言われれば確かにそうかもしれない。自分も目の前で泣かれてそれを前にして食事をするなんて自信は無かった。
 
「それもそうか…………さっさと食うか」
 
 落としたフォークを広い、冷めたカルボナーラを巻き付ける。
 
「うん…………」
 
 それを合図に恋歌も手前のサラダを一口入れた。
 
「でも良かった」
 
 カルボナーラを喉に押し込め、グラタンを掬ったところで恋歌はそんなことを言った。
 
「何が?」
 
 そう言いながらカルボナーラとグラタンが微妙にかぶっているなと後悔する切。
 
「いや、切っちがさ。無理せず泣けて。涙ってさ、あふれた感情なんだってさ。だから泣くことですっきりするんだって。ちょっとは気が紛れたでしょ」
 
 恋歌に言われて気付くが、たしかに幾分か気分はましになっている。先ほどに比べればずいぶんと気持ちは落ち着いている。
 
「…………確かに」
 
 そして、それはたぶん目の前にいる相手のおかげでもあるのだろう。
 
「…………悪かったな」
 
「何が?」
 
 言いながらピザを銜える恋歌。
 
「付き合わせて」
 
「別に。私が勝手に首突っ込んでるだけだもん」
 
「……お前って実は結構いい女なんだな」
 
 素直にそう言うと、恋歌の顔が一気に赤くなってしまう。
 
「な! 何を言い出すかな!」
 
 その表情が新鮮で、またこういう言葉に対してこういう表情を浮かべるのかと何となく納得する。
 
「ああ、なんかお前の攻略が分かってきた気がする」
 
 恋歌の表情がふてくされたものになり、サラダを食べるとジト目でこっちを見る。
 
「健ちゃんが駄目なら私とか? それは節操ないと思うな」
 
「いや、そりゃないけど」
 
 さすがにそこまで発展するとは思えない。
 
「ないんだ」
 
 何故か少し残念そうな口調が混じっているような気がしたが、気のせいだろう。恋歌はピザを一口口に入れた。
 
「当たり前だろ。さすがに整理つかないし。でも助かったのはホントだな。ありがとな」
 
 改めて彼女に礼を言う。自殺とまではいかないが、もし彼女がいなかったら誰かを傷つけてしまっていたかもしれない。そう思うと彼女の存在はありがたかった。
 
 恋歌はその言葉に何を言っていいのか分からないといった表情だ。
 
「む~、素直にそう言われる照れる。というか照れるなんて私のキャラじゃないんだけど」
 
 困った表情のままサラダを食べる恋歌。
 
「真正面から褒められるの苦手だろ。レンって」
 
 何となくそう感じた。
 
「え~い、私という存在を分解するな。フォークで刺すぞ」
 
 恋歌は持っているフォークの先を切に向ける。
 
「危ねえな。素直に褒めてるんだから素直に喜べよ」
 
「別に切っちのためだけにやってるわけじゃないし」
 
 そっぽを向いて乱暴にサラダにフォークを突き刺すと刺さったレタスを口に入れる。
 
「そうなのか?」
 
 カルボナーラの中にフォークを入れてくるくるとフォークを回しながら恋歌に訪ねる。
 
「ま、ほとんど自分の為だし」
 
 投げやりにそう言う恋歌。その表情を見ながら巻き取ったカルボナーラを食べる切。
 
「自分のねぇ…………」
 
 何となくそれが言い訳のような気がするのは気のせいではないと思う。
 
「私って結構エゴイストだよ。優しさも自分が優しくありたいからの裏返し。偽善者って言葉の方が当てはまりそう」
 
 自嘲気味にそう呟く。
 
「…………自分から偽善者って言う奴は大抵偽善者じゃないんだけどな」
 
 まるで自分を貶めたいような言葉に切は思わずそう言った。それを聞いて、ぱっと切の方へむき直す恋歌の表情はどこか呆然としていたが、直ぐに普段通りの表情に戻った。
 
「じゃあ、今のはなかったと言うことで」
 
「なんでだよ。別に良いんじゃねえの。お前はお前で。それに俺が救われてるのも確かだしな。その裏側がエゴでも裏返んなきゃ分からないんだし」
 
 それで救われた人間が目の前にいるのだ。嘘もつき続ければ真実になるのだし。それにそれが嘘ならば救われた自分も嘘になってしまう。逆説的に言えば自分が救われているのだからその行為は嘘ではないのだ。
 
「そうかもしれないけど、やっぱり罪悪感がねぇ…………あ~やっぱ駄目だ。私ちょっとずるいわ」
 
 大きくため息をついて体を沈ませていく。
 
「何でだよ」
 
 沈んでいく恋歌を見ながら再びグラタンを掬う。
 
「それは秘密~」
 
 バネ仕掛けのおもちゃのようにぱっと起き上がった。
 
「またか」
 
 秘密が多い。しかし、考えてみれば自分も秘密がまったくないとは言えない。ただやっぱり気になるのは確かだ。
 
「うん。そのうち話してあげてもいいけど、今言うのはフェアじゃないし」
 
 そんな不思議な事を言う。フェアじゃないとはどういう意味だろうかと考えるも答えは出てこない。
 
「そっか…………」
 
 グラタンを口に入れる。
 
「うん…………」
 
 恋歌は小さく頷いた。
 
「そのうち話すんなら今でもいいんじゃないのか?」
 
 訪ねてみたが、恋歌は首を横に振る。
 
「こういう話はタイミングなの。今は駄目」
 
「ふ~ん」
 
 これ以上何を聞いても答えてはくれないだろう。切はこの話に関しては諦めることにした。
 
「でさ。バレンタインだけどどうするの? マジで咲良呼び出すわけ?」
 
「そりゃやるさ。騎士でもない道化は最後までその役を全うしないと」
 
 表情を一変させてそう訪ねる恋歌に対して切は冷静にそう言う。するとまじまじと恋歌は切を見た。
 
「切っちは道化でもないと思うけど。そうだなぁ。そうそう、『吊された男』」
 
 手を叩き切を指さす。
 
「何だよそれ」
 
 聞いたことのない単語だ。というよりも不吉すぎる。
 
「タロット。正位置の意味は修行、忍耐、奉仕、妥協」
 
「むかつくぐらい今の俺だな」
 
 まさに今の切にぴったりの言葉だった。
 
「だねぇ。あ、グラタンちょっとちょうだい」
 
 笑って指を切の手元にあるグラタンに向けた。
 
「なら、ピザよこせ」
 
 あごでピザを差す。
 
「ん~量的に等価交換の原理から外れてるっぽい気がする」
 
「その薄さに対してスプーン一杯分は十分等価交換だと思うが」
 
「それもそっか。じゃ、あ~ん」
 
 大きく口を開ける恋歌。
 
「…………何の冗談だ?」
 
 ジト目で恋歌を見つめる。
 
「食べさせてくれるんでしょ」
 
 口を閉じ、悪びれもなくそう言った。
 
「しばくぞ。さっさと自分のスプーンで食べろ」
 
「ぶ~、切っちノリ悪い~」
 
 口をアヒルのように尖らせぶうぶう、言い出す恋歌。
 
「今この状態でノリを良くしろってのがどだい無理な話だっての」
 
「まあ、しょうがない。そこは妥協してあげよう」
 
 意外にあっさり引き下がり自分のスプーンでグラタンを持って行く。
 
「ったく、冗談も休み休みにしてくれ」
 
 そう言って交換条件のピザを一切れもらう。
 
「なによ~。これは私なりの気遣いってやつでしょ。甘んじて受けろ」
 
「受けるか馬鹿。う~ん、ピザは冷めたらもう駄目だな」
 
 一口食べるが、すでに生地がふやけており、食感はずいぶん悪くなっている。
 
「私は結構好きかも。というより私はピッツャよりピザの方が好き」
 
「ドミノとか系のあれか。あれは何というかアメリカンって感じだよな」
 
「うんうん、そういうの。こういうピザって食事というより間食って感じでお腹に全然たまらないもん」
 
「味はこっちの方が良いと思うけどな」
 
 無理にピザを押し込んだ。
 
「え~そうかな。後具材だけどパイナップルとか美味しいよ」
 
「ピザにパイナップルって何の罰ゲームだよ」
 
 クレープなら話は分かるが、ピザにパイナップルという組み合わせは切の人生経験から考えつくことがなかった組み合わせだ。
 
「いや、これが結構美味しいんだよ。酢豚のパイナップルみたいな
もんで」
 
「俺はあれは駄目だ。許せない」
 
 切は頭を振る。
 
「うわ~切っち保守派。もっと革新しないと」
 
「伝統を重んじるんだよ。…………しかし何なんだろうな。この状況」
 
 改めて思い返してみると不思議な状況だ。
 
「ん?」
 
「いや、好きだった奴に告白を頼まれて泣いた後に酢豚の話って。これだけチョイスすると荒唐無稽だな」
 
「かもね。でもいいじゃん。他にはない体験だし」
 
 奇妙な笑顔で恋歌はそう言った。
 
「こんな体験そうそうあって欲しくないけどな。しかしどうしてお前はここにいるんだろうな」
 
「どうしてだろうねぇ。切っちと健ちゃんがただならぬ雰囲気を感じたのが最初で、今はさっきも言ったけど切っちを慰めに来てるけど…………もっと根本的な所は…………」
 
 そこまで話して言葉がとぎれる。
 
「ところは?」
 
「…………う~ん、私もうちょっとずるくていいかな?」
 
 いきなりそんなことを訪ねられる。
 
「は?」
 
 意味が分からず、切はそう告げるしかなかった。
 
「さっきの話し。今はそのタイミングじゃないって所」
 
 ほんの少し前、彼女の秘密について話をした時のことだ。切はそのことを思い出す。
 
「ああ、さっきな。それがどうしたんだ?」
 
「うん。…………これ言うと切っちもっと混乱するから今日は言わないようにしてたんだけど、今言っちゃおうかな~ってずるい私が心の中で囁いているわけで」
 
 若干言いよどみながら恋歌の表情は空元気のような笑顔ではあるが本来であればもっと違った表情を浮かべるべき不安定な笑みだった。
 
「話が読めないんだが。それ言うと俺が困るのか?」
 
「うん、たぶん困る。いや、ちょっと困って欲しいと思ってる私もいる。う~んちぐはぐだ~。やっぱり人間って難しい」
 
 大きくため息をつく。まるで人間じゃないような言いぐさだがもちろんただの言葉の綾だろう。ここでその秘密とやらが人間じゃないなどと言い出したらファンタジーの世界だ。
 
「俺は慰めたいのか困らせたいのかはっきりしてくれ」
 
 今度は切がため息をつく番だった。
 
「できたらしてるよ。こういうのを二律背反っていうんだろうなぁ」
 
 肘をついて持っているフォークをじっと見つめる。
 
「ちなみに、そこまで言ったらむしろ言わない方が俺は困るんだが」
 
「そうだよねぇ。あ~やっぱり私ずるいわ。そう言うの願ってるもん。じゃあ言うね」
 
 意を決して、フォークをサラダの中に放り込んで、息を吸う。
 
「ああ」
 
「私、松重恋歌は…………」
 
 一区切りして、もう一度息を吸い込み、次の言葉を継げた。
 
「百田切の事が大好きです」
 
 空気が停滞した。背景の音楽や雑踏が全て聞こえなくなった。
 
「…………………………え?」
 
 今、自分が聞こえた言葉がただの聞き間違いだと信じたかったが、だがそれは自分の耳が本当におかしくなったことを意味する。この場この瞬間でいきなりそんなことになるとはその言葉の意味を捉えることよりも難しかった。
 
「ちなみにライクじゃなくてラブです」
 
 追い打ちをかけるように恋歌はそう言う。
 
「…………………………ちょっと待て」
 
 手を前に出して、これ以上言われても頭に入りそうにない。体が緊張していて言葉もまともに出てこないくらいだ。
 
「うん、ごめん。ほんとごめん。だからさ私ずるいなって思ったんだよ。切っちが健ちゃん好きなの分かってるし、ただならぬ雰囲気を感じたからもしかしたら…………チャンスかもって…………軽蔑していいよ」
 
 告白する恋歌の顔は何かに怯えているような表情だった。しかしそんな彼女を気遣っている暇は今の切にはない。
 
「あ~待ってくれ、感情が全くついてきてない」
 
 そう言って頭を抱えた。
 
「うん」
 
「お前は」
 
 恋歌を指さす。
 
「うん」
 
 恋歌がうなずくと次に切は自分自身を指さした。
 
「俺が…………好き?」
 
「うん」
 
 大きく恋歌はうなずく。
 
「………………冗談じゃなくて?」
 
 冗談だよなという期待を込めた質問に対して、しかし意に反して恋歌はもう一度首を振る。もちろん縦に。
 
「うん」
 
 それを見て、恋歌の発言が本気であり、真実であることをはっきりと自覚する。
 
「…………あ~…………もう何なんだ今日は」
 
「ごめん。ホント……ごめん」
 
 泣きそうな顔になる恋歌に逆に冷静になることが出来た。息を吸って体の緊張をゆっくりと弛緩させていく。
 
「いや、まあいいよ。とりあえず。そんで軽蔑する気はない。それだけは断言しておく」
 
 そう言うと恋歌ははじけるように顔を上げて、そして若干頬を赤くする。
 
「あ、ありがとう」
 
「しかし、何だそれ? どういうことだ? 何で俺なんだ? もう、ホント訳分からん」
 
 目の前にいる人物とは友人という間柄であると信じていただけにその衝撃は思いの外強かった。もしかしたら先ほどの衝撃よりも強いものではないかと思える。
 
「う~ん、好きになったのは一学期に私が階段から落ちそうになったとき助けてくれたでしょ?」
 
 その事柄について必死に記憶をたぐり寄せるが、残念なことに全く思い出すことができない。
 
「悪い。全く覚えて無い」
 
 正直にそう言う。もしかしたら傷つけてしまうかもしれないと思ったが、恋歌はまるで気にしていなかった。
 
「うん。それも知ってる。だってあの後お礼言いに行ったら『そんなことしたっけ?』って言ってたし。まあ、これがたぶん引き金。あ~この人は人を助けることを特別なことと思ってないんだなぁって」
 
「いやいや。俺はそんな聖人じゃないから」
 
 手を振ってそれを否定するも恋歌は否定も肯定もしなかった。
 
「分かってるよ。でもね。それでもやっぱり切っちはそういう人だし、切っちを好きなって切っちが健ちゃんのことが好きって分かってもこの想いはやっぱり消せなくてさ」
 
「…………そうか。だからお前が腹立ててたのは」
 
「好きな人を悲しませる人は親友でもやっぱり怒りたくなるよ。でも健ちゃんはずるいなぁ。全然怒れない」
 
「まあな」
 
 たぶんそれが彼女の天性の才能なのだろう。いや、天性というよりは性質。健美が健美であるために得たもの。
 
「というわけなのです。できれば今日のこのことは忘れて欲しいかな。もうちょっとちゃんとしたところで告白するから」
 
 両手をテーブルにつけて、頭を下げた。
 
「ちゃんとしたところって?」
 
 色々言いたいことはあったが、しかし今それを伝えたところで答えは返ってこないだろう。いや、答えなど期待する方が間違いなのか。切の心はまだ定まっていないが、衝撃からはどうにか立ち直れていた。
 
「う~ん、今は考えてないけど」
 
 言葉を濁しながら頭を上げて、苦笑する。
 
「そうか…………じゃあ、忘れておく」
 
 それが今一番良い手段なのだろう。ただの時間稼ぎなのかもしれないが。今直ぐ何かできる事ではないのも確かだ。
 
「うん。お願いします」
 
 もう一度頭を下げる。
 
「とりあえず今まで通りでいいんだろ?」
 
「そだね。今まで通りでいいよ」
 
 そう、今まで通り。そこまで考えて切は固まった。
 
「………………今まで通りってどうすりゃいいんだろうな?」
 
「どうすればいいんだろうね?」
 
 どうやら恋歌も同じようで首をかしげる。
 
「つーか、無理だ。忘れられるわけないだろ」
 
 まさに青天の霹靂と言う奴だ。人生初告白などそう簡単に忘れることなど出来るはずがない。
 
「そこをどうにか忘れてよ!」
 
 一方無茶な注文を怒鳴り声で伝える恋歌。
 
「知ってるか? 人って記憶するより記憶を無くす方が難しいんだぜ」
 
「そこをどうにか忘れるの。私は忘れた」
 
「いや、絶対忘れてないだろ」
 
「いーや忘れたね。切っちに告白したなんて完璧に忘れた」
 
「全然忘れてねーじゃねえか」
 
 自分から告白したなんて言ってる人間が忘れているはずもない。
 
「よし分かった。今から頭をどつくから記憶を失え」
 
 立ち上がり、今にも殴りかかろうとする恋歌。
 
「記憶を失うよりも先に死が見える方が早いだろそれは」
 
「とにかく忘れろ。わーすーれーろー」
 
 こちらに両の手の平を見せて目を見開く。
 
「洗脳するな。分かったよとにかく聞かなかったことにするから。じゃあ、酢豚の話からか?」
 
「なんか色々はしょりすぎて分からないよ」
 
 諦めて恋歌は力をぬいて座った。
 
「つーか何で酢豚の話してたんだっけ?」
 
 そもそもどこで酢豚の話になったのか、すっかり忘れてしまった。
 
「パイナップルの話からじゃなかったっけ?」
 
 記憶を辿り恋歌は不安そうにそう言う。しかし、切はパイナップルという単語から過去の記憶が一気に戻ってくる。
 
「ああ、そうそう。酢豚にパイナップルは邪道って話だ」
 
「私は結構好きなんだけどなぁ」
 
「しょっぱいに甘いはないだろ」
 
 甘しょっぱいは分かるが、それは砂糖と醤油といった話であって、断じてフルーツに醤油のような調合ではない。
 
「え、そう? 私ポテトチップチョコレートとか好きだけど」
 
「それは別々に食べた方がうまい」
 
 断言する切。しかし恋歌は食い下がった。
 
「いやいやいや。これはホント美味しいの。あ、じゃあこれバレンタインのチョコにするからその時告白する」
 
「たぶんそれだったら断りそうだな俺」
 
「え~。それは私泣くよ。振られた理由がチョコポテチ送ったからって情けなすぎる」
 
 非難の声を上げる恋歌。もちろん冗談なのだが、ノリでそう答えてしまった。
 
「まあ、それは嘘だけど。つーか、さっき忘れたって言ってもう蒸し返してるじゃねえか」
 
「あ、そうだった。たぶん無意識で舞い上がってるかも」
 
 頬を掻く。
 
「そういやさっき、好きな奴の前だと奥手だって言ったけど、あれ嘘なのか?」
 
 今の態度ではそうはとても思えない。
 
「ん? それはホントだよ。実は結構無理してるんだなぁ、これが。さっきから手のひらの汗がべとべとして…………」
 
「普段も?」
 
「うん。話の軌道に乗れば大丈夫だけど、声をかけるときはいつも緊張してる」
 
 その話を聞くと改めてさっきの話が思い出される。
 
「…………どーも信じられないんだが。その話ってマジなのか?」
 
「何が?」
 
「いや、だから、好きだって話が」
 
「ここで冗談って言った方がいい?」
 
 そう訪ねてきた。
 
「それは……お前の心情次第だが…………」
 
 するとしばらく恋歌は考えて…………苦笑した。
 
「う~ん、ごめん。やっぱ嘘にはできない」
 
 つまり、それは嘘にするほど簡単ではなく、嘘にすることができない事実であると言うこと。
 
「そうか…………」
 
 それほどまでか。と言いかけて言わずにおいた。
 
「重荷だよね?」
 
 その言葉の奥を察したようにそういう恋歌。変なところで勘の良い。だが、奥にはあるが、その意味をはき違えている。これだけは指摘しておく。
 
「というより素直に驚いてる。告白されるなんて初めてだし」
 
「え? そうなの?」
 
 不思議な返答が返ってきた。まるで告白など何度かされているんじゃないのというような返事。
 
「いや、普通告白なんてされないだろ」
 
 周りにそんな話を聞いたことすらない状況だ。まして自分など過去にいくら遡ってもそんな状況はあり得なかった。
 
「それならみんな見る目ないなぁ」
 
 やれやれとため息をつく恋歌。
 
「んなこと無いだろ」
 
「そう? あ、でも、競争率激しかったら大変だしね」
 
「なんというかお前の評価がずいぶんと過剰評価に感じるんだが、気のせいか?」
 
 惚れた弱み……という言葉はどうも気恥ずかしいが、しかしそれでも恋歌は切に対して過剰な評価をしているように思える。
 
「でも切っちって顔だって悪くないし運動できるし勉強できるし、なにより優しいし。すごい優良物件じゃん。なんで告白されないの?」
 
「俺に聞かれても困るんだが…………」
 
 そんなの周りに聞いて欲しい。
 
「それもそっか。でも案外切っちの雰囲気がちょっと怖いから告白されないのかもね」
 
「そうか?」
 
「うん。なんか普段はすごい近寄るなオーラが出てる感じ」
 
「意識したことないからなぁ。そんな雰囲気出てたか」
 
 本当に意識していなかったので、気づかなかった。そういえば女子からの頼まれ事の時など女子がおどおどしていたような気もするが、そういう理由だったのかもしれない。
 
「うん。もうちょっとそういう所に気を…………つけなくていいわ。うん、今のままの切っちが一番だと思うよ」
 
 途中で口調が慌てた者になり、切は怪訝な顔つきをする。
 
「急になんだよ」
 
「だから、切っちがこれ以上良くなったら周りがほっとかないからそのままでいいの!」
 
 顔を真っ赤にして怒り出す恋歌。とりあえず状況を察して、了承することにした。
 
「分かった。とりあえず落ち着け」
 
「落ち着いてられるかぁ!!」
 
 何故か大爆発する恋歌。
 
「何でそこで爆発するんだよ!」
 
 もはや悲鳴に近いそんな叫びがファミレスに木霊した。
 
 
 店員に丁寧な言葉でファミレスを追い出された二人はとぼとぼと帰り道を歩いていた。
 
「もう、あそこのファミレスにはいけないねー」
 
 と言いつつ上の空の恋歌。
 
「そーだなー」
 
 それは切も同じだった。あまりにも色々なことが起こりすぎて、もはや呆然とするしかなかった。
 
「これからどうするの?」
 
「ん? そーだな。とりあえず咲良にでも電話するかな」
 
「そっか」
 
 恋歌は顔を上げて空を見上げる。それに倣って切も顔を上げた。空に星は見えず真っ黒な空しか見えない。
 
「あのさ…………」
 
 空を見上げながら恋歌の声を聞く。
 
「ああ…………」
 
 黒い空に赤い光が見える。たぶん飛行機だろう。その光をじっと追いかける。
 
「好きだよ…………」
 
 そんな染み渡るような言葉が聞こえた。
 
「………………」
 
 切はしばらくじっと空を見上げていた。赤い点滅する光は空の彼方へ消えていく。
 
「答えは聞かない。でも、絶対にこちらを振り向かせてあげるから」
 
「…………はぁ」
 
 ため息をつく。そして空を見上げるのを止めて恋歌を見た。自信たっぷりの笑みを浮かべてこちらを見ていた。
 
 今の自分が恋歌をどう思っているのか。少なくとも彼女と同じ「好き」とは違う。それははっきりとしているところだ。ただ、これからどうなるかは分からない。目の前にいる少女とは別の人を好きになる可能性だってあるのだ。
 
 だから、せいぜい出来ることは…………
 
 切はため息をついて、手を彼女の頭の上に伸ばす。そして…………
 
「あ…………」
 
 そっと彼女の頭をなでた。
 
「これは?」
 
 手を離して恋歌とは違う方向を向く。
 
「自分でもよく分からん」
 
「ふ~ん」
 
「さっさと帰るか。家まで送るぞ」
 
「ありがと。切っち」
 
 そして二人は帰路につく。
 
 数日後、髪を黒く染め直して本命チョコを渡す恋歌に困惑する事など、切にはまるで想像できなかったのだが、それはまた、別のお話だ。
 
 
終わり